【母恩寺(ぼおんじ)】歴史の教科書で見たことのある後白河法皇のお母さんが都島に祀られているのです【寺社仏閣<大阪・都島>】
先日都島神社に行った際のブログを書かせていただきました。
ブログ内で書かせてもらったのですが、こちら都島神社の(旧・十五社神社)建立を命じた後白河法皇が、都島神社の北側に後日建立した生母を祀る母恩寺(ぼおんじ)へ行ってみました。
【場所】
まずは都島神社の西側の鳥居を出て右側を向きます。
こんな感じ。がっつり町中にでて、ちょっと進んでいると左手に・・・
こんな風景が。絶対ここやで。ということでこちらへ進んでみますと・・・
【母恩寺】
どどん、と趣のある建物が。
法皇山 母恩寺。無事到着です。
都島神社からだと徒歩2,3分の近い場所にあります。
ここに後白河天皇のお母さんが祀られているのか・・・
ただ残念ながら入口には木の柵が置かれていて中に入れないので、手前から覗いてみます。
肝心の扁額(へんがく)は門の柱で隠れて見えない。無念。
都島神社にもあった史跡旧跡解説の看板が。
仁安3年(1168)に後白河天皇が、高野山に参詣される途中とくにこのあたりの景色を好まれ、ここに生母・待賢門院の菩提のためにこの寺を創建されました。
寺の名前には「母后報恩」の意味がこめられています。
往時は12の坊舎を有する大伽羅で、代々住職は皇女が務める尼寺でした。淀川の洪水や兵乱でしだいに勢いが衰え、一時は荒れ寺となっていたこともありました。
寺宝として後白河天皇と待賢門院の画像のほか、享保4年(1719)の略縁起などがあります。
一時はかなりのスケールだったようですねー。
横から。立派。都島神社の拝殿本殿と比較しても見劣りなし。
霊園があるそうです。
後ろから。
すぐ近くの都島神社と合わせて、当時のこのあたりの風景に想いを馳せることのできる貴重なスポットですね。
【場所】