ひょうごのはなし

大阪生まれ大阪育ちの私が、仕事を通じてすっかりはまったひょうご五国の魅力を食を中心に伝えていくブログです。

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【難宗寺・盛泉寺】東海道五十七次の守口宿になにかしら関係があったんだろうなあというお寺には明治天皇が宿泊した歴史が!!【寺社仏閣:大阪守口】

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以前京阪守口市駅から163号線まで歩いたときの画像をずらずら並べるブログを書いたのですが、そのときに前を通った酒屋さんが「東海道五十七次 守口宿」という存在をしりました。

 

www.hyogonohanashi.com

 

 え、東海道って五十三次じゃないの??

 4つ宿増えてないっすか??とほとんどの方が思われるかと。

 

 徳川家康が慶長6年(1601)に江戸と京都をむすぶ主要ルートとして定めたのが東海道。

 その後大阪城の再建をはじめた2代将軍徳川秀忠が豊臣秀吉の制定した京街道(京都~大阪)を東海道に加え、そこにあらたに4つの宿を置いたそうな。

 ちゃんと江戸時代の「宿駅制定証文」というものに元和3年(1616)に守口宿が制定されたことが記録されているそうです。

 五十七次の57番目!アンカーです。大事な仕事ですやんか。

 ここを越えたらラストは大阪京橋でゴールでございます。

 

 ちなみに京橋、大坂宿まで2里、京都寄りの枚方宿まで3里とどちらも近い距離にあったため、馬はなく人足の勤めのみだったそう。おまけに淀川がすぐそこなのに、連携がなかったため、舟の発達に合わせてがっつりお客さんを取られて大変だったみたい。

 

 2016年には守口宿制定から400周年ということで、守口市が地域活性化の材料として結構PRもされてたらしいんですが、この前酒屋さんの前を通るまでまーったく知りませんでした。

 

 今回はそんな守口宿に縁があるのか??不明なままですが守口宿つながりで立ち寄った「難宗寺」と「盛泉寺」のご紹介です。

 

 

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 先日守口を移動していたときにこんな紙が目に入りました。

 たぶん不動産屋さん(この日はお休みでした)の前やったんちゃうかなー。

 

 あ、ここも京街道やったんかー。お寺の名前書いてあるなぁ、有名なんかな。

などと思いつつあらためて道を見ると・・・

 

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 ここは五十七次守口宿、ののぼり。

 これを見て先日の酒屋での風景が思い出されました!!

 せやせや、守口は東海道五十七次の57番目やったなー。てことは先ほどのお寺が宿になってたとこ??

 ちなみに「もりぐちやど」じゃなくて「もりぐちじゅく」って読むそうな。

 

 気になってネットで見てみたところ、東海道宿村大概帳ある記録によると旅籠は守口宿で27軒あったそう。

 

 特に難宗寺と盛泉寺の名前は東海道と関連しては出てこないなぁ・・・と思ったのですが

 

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 まぁ、すぐそこに見えてたんです、難宗寺(笑)

 この距離やし立ち寄っていくことにしました。

 

 ちなみに難宗寺は浄土真宗本願寺派(西本願寺派)、盛泉寺は浄土真宗大谷派(東本願寺派)、と東西対決です。

 

【難宗寺】

 

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 てゆうかここも雰囲気あるなぁ。

 このあたりが旅籠やったのかしら。

 

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 角には石碑がぽこぽこと建てられています。

 

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 守口宿って書いてるなー。やはりこのあたりがそういうエリアだったんでしょうか。

 

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 車道から、細い道に入って歩くとすぐに入り口が。

 

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 難宗寺さんです。

 

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 おお、立派なお寺さんや。

 

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 正面から。どどーん!!

 難宗寺は文明7年(1475)に越前の吉崎を退出した浄土真宗の僧・蓮如上人が、文明9年(1477)に創立した守口御坊がはじまりと伝えられています。

 慶長16年(1611)には本願寺掛所に昇格し、「西御坊」と呼ばれるようになっています。その後、元和元年(1615)の兵火などを経て、文化7年(1810)に再建されたのが現在の本堂です。

 色々あったようですがもう200年以上経っているんですね、いまの本堂も。

 

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 でっかいイチョウの木。

 

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 守口市の保存樹木、なるイチョウさんでした。

 有名なイチョウみたいで、季節になるとめちゃくちゃ綺麗らしいです。

 

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 なぜか「大阪教育委員会」名義の看板も。教育委員会ってこういうこともするの?

 ちゅうか!!「大阪府指定天然記念物」なんですってー。すごい。

 

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 鐘。

 

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 そして入った入口と違うところから出たところ、こんな石碑が!!

 「明治天皇守口行在所」ですってー!!

  慶応3年(1867年)10月に「大政奉還」、12月には「王政復古の大号令」という社会の勉強にあったなーとみんなが知っているであろうビッグイベント。続く慶応4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗退し、大坂城にいた徳川慶喜は江戸に逃れます。そして3月に天皇が自ら大坂に向かい、八幡(京都ですね)で一泊、そして守口の難宗寺(なんしゅうじ)で一泊した、とのこと。

 おおー!ここに明治天皇が宿泊しはったんかー!!すごいやんかー!!

 

【盛泉寺】

 

 

 

 

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 続きまして目と鼻の先、盛泉寺。

 入口の門の感じがなんだか洋風。

 

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 雰囲気ありますねー!!

 

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 残念ながら訪問が遅かったのか門は閉じられてしまっておりました。

 

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 あれ?こちらにも明治天皇聖蹟なる石碑が。

 

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 こちらにもなにやら大層な雰囲気の石碑が。

 

 明治天皇が難宗寺に宿泊されたときに、こちら盛泉寺には3種の神器のひとつである「神鏡」を預けられたそう。

 

ううむ、この至近距離で東西対決しているとやはり気を遣わないといけないということなんでしょうか。

 

 歴史を感じる事ができてなかなか面白いスポットでした。

 

 1号線で、守口のマクドをまがったらすぐのところなので興味があるかたはぜひふらりと立ち寄ってみてくださいねー!!

 

 みなさんが興味を持っていただけるきっかけになれば幸いです。

 長文読んでいただきありがとうございました!

 

 取材依頼、撮影依頼、ご意見等、下記よりお問い合わせお待ちしております。

www.hyogonohanashi.com

 

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